人日(じんじつ)の節句とは、
五節句の一つで、
現代の1月7日
のことを指します。
この日には七草粥(ななくさがゆ)と呼ばれるおかゆを食べて過ごすという昔からの習慣があります。
それ故に、人日は別名“七草の節句”とも言います。
そこで二つの疑問。
- なぜ、人日は1月7日なのか?
- なぜ、1月7日に七草粥を食べるのか?
今回は、それらの謎の答えを知るべく、
人日の起源(由来)をチェックし、
わかりやすくまとめてみました。
皆様の参考になれば幸いです。
■人日(じんじつ)の起源(由来)
実は人日の起源は、
古代中国の占いから来ています。
古代中国では1月7日を“人の日”として、その年の“人に関する占い”を行っていました。
つまり、人日の意味は文字通り、
“人の日”というワケです。
これこそが、人日の節句の起源(由来)であり、「なぜ人日が1月7日なのか?」の答えです。
また、次の日の1月8日を“穀の日”として、その年の“豊作に関する占い”を行っていました。
その占いで“人”の運勢が良くなるよう、無病息災を願うという意味で、
本来の“穀の日”の占いに使う七草を
汁物(スープ)にして食べた
のです。
もっと砕けた言い方をすると、
健康を願って七草を
鍋料理にして食べていた
のです。
確かに、1月は冬の真っただ中。
鍋料理は体が温まるし、七草は薬効成分があって体に良いので好都合だったワケですね♪
なるほど納得です!
■なぜ1月7日に七草粥を食べるのか?
1月7日に七草粥を食べる理由は、
古代中国の”人日に七草のスープを作って飲む習慣“が日本に伝わり、時代とともに七草粥に変化した
からです。
上の、人日の起源についての記事中で、
健康を願って七草を
鍋料理にして食べていた
と書いてありましたね?
その習慣が平安時代の日本に伝わり、時が経って汁物がお粥に変化したのです。
日本人に野草や野菜を食べる習慣があるとはいえ、ただ鍋で煮ただけでは美味しくない。
そんな理由からか、いつしか米などと一緒に七草が茹でられるようになりました。
その結果、おかゆに変化したのです。
七草粥として完全に定着したのは江戸時代です。
正月は祝い酒を飲むことが多く、暴飲暴食で疲れ切った胃腸を休める目的で消化が良く胃腸にやさしい七草粥を食べていたと考えられています。
その習慣が現代にまで残っているワケですね♪
まあ、考えてみれば、汁物よりもお粥のほうがお腹にたまります。
腹持ちがいいんですよね。
その分、体が長く暖まりますからね。
胃腸にもやさしそうですし。
皆さんも、1月7日は七草粥を食べてみてはいかがですか?
■なぜ人日だけ1月7日に?
余談ですが、五節句のうちの他の節句は、3月3日、5月5日、7月7日など、月と日にちが同じ数字になっています。
しかしながら、人日の節句だけは1月7日。
月と日にちの数字が合いません。
なぜ人日の節句だけ1月7日なのか?
それは、二つの理由があります。
- 1月1日には元旦という祝日が既にある。
- 人日の節句の由来が、
古代中国の占いの“人の日(1月7日)”にある。
考えてみれば、当たり前な理由ですね。
また、古代中国では奇数は縁起の良い数字。
故に人の日の1月7日は縁起が良い吉日。
そういう理由からも、
1月7日を節句にするのは妥当だと言えますね。
■まとめ
- 人日の節句の起源は、
古代中国の「人を占う日」。
(人+日=人日)
- 人を占う日が1月7日だったから、
人日=1月7日。
- 人の健康と運気が良くなるよう、
古代の中国人は1月7日に、
薬効成分がある七草をスープにして飲んでいた。
- 七草粥のルーツは古代中国の七草スープ。
- 五節句の一つ「人日の節句」に
七草スープを食べる習慣が
平安時代の日本に伝わった。
- 時代と共に七草のスープに米などが
混ぜられるようになり、お粥に変化した。
- 七草粥に定着したのは江戸時代から。
以上、こんなところですね。
七草粥のルーツが
古代中国にあったとは意外でした。
まあ、でも、よく考えてみれば、
漢字にしろ、干支にしろ、方角にしろ、時刻にしろ、古代中国がルーツなものは日本にたくさんあります。
そう考えると、七草粥のルーツが古代中国にあったとしても、特別変わったことではないのかもしれませんね。
では、今回はこの辺で。
■関連項目