■金シャチの日ってどんな日?
金シャチの日とは、名古屋城大天守に飾られている「金のしゃちほこ」をさらに多くの人に知ってもらい、金シャチにあやかって名古屋を元気することを目的として作られた記念日です。
金は、多くの人間を魅了し、行動力をかきたてる美しい金属。
それを見事な形のオブジェにしたのが金シャチです。
(※実際には金は表面だけですが。(苦笑))
金シャチを見て、元気をもらって、頑張って生きていこうという想いが記念日に込められているのではないでしょうか。
◆金シャチ(金鯱)とは?
金シャチとは金色のシャチホコのことで、シャチホコは鯱(しゃち)※という架空の生物を模って作られたオブジェのことです。
(※頭が獅子で身体が魚の姿をしており、鱗や鰭(ひれ)が尖り、尾が上を向いている。)
主に屋根に設置されることがほとんどですが、何らかの記念イベントや改修工事等で、展示物として室内に飾られることもあります。
名古屋城の金のシャチホコが最も有名ですが、大阪城や岡山城、清洲城にも金シャチがあります。
ちなみに、シャチホコ自体はそれほど珍しいものではなく、普通のシャチホコなら、前述の城だけでなく、熊本城など他の城や様々な店舗や建造物、寺社(本圀寺)などにも設置されていることがあります。
■提唱・制定者は?
金シャチの日の制定者は、スマイルせんせいこと「川村芳彦」さんです。
接骨院の経営、愛知県鍼灸師協会の会長、中京柔整師協会の会長など、マルチに活躍する先生です。
■日付の理由は?
日付の理由は、名古屋市の市章が㊇(まるはち)であることから8月で、数字の2がしゃちほこの形に似ており、しゃちほこは左右に2つあることから22日というところから来ています。
■日本記念日協会に登録されているの?
金シャチの日は、日本記念日協会に認定・登録されています。
■名古屋城の金シャチについて
- 最初に作られた金シャチは1612年(慶長17年)製。
純金215.3kg(慶長大判1940枚)が使用された。 - 使われた金は、改修時に少しずつ減らされていた。
(藩財政の悪化のたびに減らされた。) - 1846年以降の金シャチは、金の純度が下がって光沢な鈍くなったため、金網でごまかされていた。
- 過去に4回も盗難被害に遭っている。
(1871年(明治4年)3月、1876年(明治9年)4月、878年(明治11年)、1937年(昭和12年)1月6日) - 最初の金シャチは太平洋戦争時の空襲で焼失。
- 残骸は紆余曲折を経て名古屋市に返還され、
名古屋市旗の冠頭と、金茶釜に加工されて保存されている。 - 現在の名古屋城にある金シャチはレプリカで、大阪造幣局員製。
- 現代の金シャチの大きさは、雄2.62m、雌2.57m
- 一対の金シャチには合計88kgほどの金が使われている。
参考:Wikipedia
こんなところですね。
幼いころは、金のシャチホコは名古屋城にしかないと思っていましたが、歴史的には、以下のお城に設置されていたそうです。
- 安土城
- 大坂城
- 江戸城
- 駿府城
- 名古屋城
- 伏見城
安土城に金シャチがあったとは意外でしたね。
自己顕示欲の強い信長なら、まあ分からなくはありませんね。
ひょっとすると、徳川家康や豊臣秀吉は、この安土城の金シャチを見て、「自分の城にもいつかは…」と想いを馳せていたのではないでしょうか?
そう考えると、歴史的なロマンを感じますよね。(笑)
では、今回はこの辺で。
■関連項目