■白虎隊の日ってどんな日?
白虎隊の日とは、1868年8月23日(旧暦 明治元年)、会津藩の白虎隊・士中二番隊員20名が飯盛山で自刃したことに因んだ記念日です。
本来、この日を新暦に換算すると1868年10月8日になるのですが、旧暦の日付をそのまま新暦の記念日として当てはめています。
◆白虎隊とは?
白虎隊は、戊辰戦争時に会津藩が結成した武家男子による部隊です。
現代では「まだ少年」と呼ばれる年齢の隊員が多かったそうで、中には、幼年組として13歳といううら若き隊員もいたそうです。
元々、白虎隊は予備兵力として組織された部隊でしたが、戊辰戦争が激化し、彼らも実戦への投入を余儀なくされたそうです。
若松城を死守するべく、各地に配備された白虎隊でしたが、圧倒的物量を誇る新政府軍の猛攻の前には焼け石に水の状態。
白虎隊の士中二番隊は、戸ノ口原の戦いで決定的に敗北し、生存者は深刻な負傷を負いながらも郊外の飯盛山へと落ち延びました。
そして、旧暦1868年8月23日、落ち延びた隊士は自刃しました。
現在、飯盛山には白虎隊隊士の墓・慰霊碑・石碑・銅像があります。
また、会津若松駅前など、各地には白虎隊士の銅像があります。
■提唱・制定者は?
白虎隊の日の制定者は不明です。
■日付の理由は?
日付の理由は前述のとおりです。
■日本記念日協会に登録されているの?
白虎隊の日は、日本記念日協会に認定・登録されていません。
■若松城の落城誤認による自刃は誤り
昭和の歴史の教科書には、白虎隊の自刃の理由は「若松城の落城誤認」とされていましたが、現在では「武士の本分を貫くための自刃」という認識に改められています。
飯盛山に落ち延びた時には、隊士は既に満身創痍の状態で、まともに戦える隊士はほとんどいなかったそうです。
そこで、皆で若松城へ行くか、皆で敵陣に切り込んで討ち死にするかの議論となり、結局、皆で自刃することになったそうです。
敵の捕虜になって生き延びるよりも、武士としての本分を貫くことを選んだゆえの自刃だったそうです。
こんなところですね。
私が日本史で習った時は、若松城が落城したと思い込んで自刃したと教えられましたが、現在では落城誤認ではなく、「敵に捕縛されて生き恥を晒すよりは、武士の本分を貫くためとして飯盛山で自刃を決行した」ということになっているそうです。
鎌倉幕府の設立が1192から1185に変更されたりと、時代が変わると、歴史認識は変わってしまうんですね。
つまり、何らかのエビデンスが発見されたり、解釈が変わったりすると、歴史的事実が上書きされてしまうということです。
「なにが事実なのか」を知る者は、その当時に生きていた当事者にしかわからないということですね。
では、今回はこの辺で。
■関連項目