■忠犬ハチ公の日ってどんな日?
忠犬ハチ公の日は、秋田犬の忠犬ハチ公を偲ぶ日です。
忠犬ハチ公は日本で最も有名な秋田犬であり、秋田犬の象徴とも言える犬の名前です。
最初の飼い主の上野英三郎氏を毎日渋谷駅まで送り迎えし、上野氏の急死後も、自身が死ぬまで渋谷駅前へ通っていたという実話が人々の感動を呼び、心を動かしたのです。
その影響力は絶大で、なんと、ハチ公がまだ生きている時にハチ公の銅像が渋谷駅に設置されるほどでした。
(設置は1934年4月21日。ただし、1945年8月14日に失われ、現在のハチ公像は2代目。)
忠犬ハチ公の物語は、小学校の教科書にも載るほど感動的なエピソードです。
この犬の名前にあやかって、当時の秋田犬を飼う家では、名前を「ハチ」と名付けることも多かったそうです。
忠犬ハチ公の物語は日本で映画化され、リメイク作品「HACHI 約束の犬」としてハリウッド映画も制作されたため、世界的にも有名な犬になっています。
それ故に、渋谷駅のハチ公像がある場所は、世界的に有名な観光スポットになっています。
ちなみに、忠犬ハチ公像は渋谷だけでなく、以下の場所にも設置されています。
- 秋田県大館市 JR大館駅前
(1935年7月8日設置。秋田県大館市はハチ公の生誕地。)
(渋谷のハチ公像と違い、耳は垂れていない。) - 東京大学農学部キャンパス内(弥生キャンパス)
(2015年3月8日に完成。最初の飼い主の上野氏と並んだ銅像。)
(上野氏は東京帝国大学の教授で農学博士だった。) - 三重県津市 近鉄久居駅 東口
(2012年10月完成(同月20日に除幕式)。久居は最初の飼い主の上野氏の生誕地。)
現在でも、毎年4月8日には、規模の違いはありますが、渋谷と秋田県大館市のハチ公像前で忠犬ハチ公の慰霊祭が行われています。
■提唱・制定者は?
忠犬ハチ公の日の制定者は、「忠犬ハチ公銅像及び秋田犬群像維持会」さんです。
現在でも、忠犬ハチ公の日には慰霊祭を行っています。
■日付の理由は?
日付が4月8日の理由は不明です。
ハチ公の命日の3月8日の1ヶ月後になっています。
■日本記念日協会に登録されているの?
忠犬ハチ公の日は、日本記念日協会に認定・登録されていません。
■忠犬ハチ公に関するメモ
- ハチは秋田県北秋田郡二井田村(現:大館市)生まれ。
- 生年月日は1923年(大正12年)11月10日。
(12月16日説もある。) - 純粋な秋田犬で、性別は♂(オス)。
- 最初の飼い主は上野英三郎氏。
(東京帝国大学教授で農学博士。) - ハチと同時期に飼われた犬が他に2匹いた。
(「ジョン」(犬種:ポインター)と「エス (S)」(犬種不明)) - ハチは人懐っこい性質故に、首輪を盗まれることが多かったため、よく野犬狩りに捕まっていた。
(当時、犬は安産・多産の象徴で縁起が良いとされていたため、有名なハチの首輪が「安産のお守り」として狙われた。) - ハチ公の左耳が垂れているのは、ハチが野犬に噛まれた後遺症。
(耳が垂れた老犬のハチを銅像のモデルにした。) - ハチ公の命日は1935年(昭和10年)3月8日。
(死に場所は当時の渋谷川の稲荷橋付近、滝沢酒店北側路地の入口(現・渋谷ストリーム駐車場入り口付近))
(ちなみに、渋谷川は暗渠化(地下河川化)されていて、現代の地図には乗っていない。) - ハチ公の死因は「重度の心臓浸潤性癌」。
(肺に転移癌、中程度の犬フィラリア症も確認されている。) - 初代ハチ公像は、彫刻家の安藤照氏によって創られた。
- 初代ハチ公像は、1945年8月14日に保管先で溶かされて機関車の部品となった。
(金属類回収令を避けるため、一時的に鉄道省浜松工機部へ撤去・保管されていた。) - 渋谷のハチ公像は2代目。
(初代ハチ公像を作った安藤照氏の息子の安藤士氏によって創られた。)
(渋谷駅前への設置は1948年8月。) - 2代目ハチ公像の素材は、安藤照氏の遺作「大空に」を溶かしたもの。
- 来日したヘレン・ケラー女史が、ハチ公像(2代目)に触れたことがある。
(ヘレン・ケラー女史は全盲だったため、触れることで存在を確認していた。)
以上、こんなところですね。
小学校の教科書に載るほど、人々の心を動かした忠犬ハチ公。
大人になった今だからこそ、主人への愛が深かったことを理解できます。
感動ものですね。
映画化された理由もよくわかります。
では、今回はこの辺で。
■関連項目