等伯忌【2月24日】

◆2月24日は「等伯忌」

■等伯忌ってどんな日?

等伯忌は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した絵師・長谷川等伯の命日で、彼の功績を顕彰し、遺徳をしのぶ日です。

命日は旧暦の慶長15年2月24日なので、現代の暦で計算すると1610年3月19日ということになりますが、旧暦の命日をそのまま現代の暦の日に当てはめているため、2月24日が記念日となっています。

長谷川等伯は、能登国・七尾(現・石川県七尾市)出身の絵師で、同じ時代には狩野永徳、海北友松、雲谷等顔といった名画家がいます。

主に人物画や屛風画の作品が多く、彼の作品の大半は重要文化財に認定されており、一部の作品は国宝とされています。

以下のものは、いずれも国宝です。
(画像はいずれもパブリックドメインです。)

楓図

松林図(右隻)

松林図(左隻)

出典:Wikipedia

■提唱・制定者は?

等伯忌の制定者は、石川県七尾市の市民団体「等伯会」(大林重治会長)さんです。

制定年月日は不明です。

■日付の理由は?

日付の理由は前述のとおり、長谷川等伯の命日が理由です。

■日本記念日協会に登録されているの?

等伯忌は、日本記念日協会に認定・登録されています。
(登録年月日は不明です。)

忌日が記念日として認定・登録されたのは、この等伯忌が初めてだそうです。

■長谷川等伯 メモ

  • 生誕:1539年(天文8年)
  • 死没:1610年3月19日(慶長15年2月24日)
  • 実は武士だった。(主君:畠山氏)
  • 幼名は又四郎。
  • 帯刀時の名前は信春。
  • 水墨画と金碧障壁画は独自の画風。
  • 一時的に狩野派で学んでいたが、すぐに辞めた。
  • 千利休や日通(僧侶)と交流していた。
  • 中国の絵画(宋、元の時代のもの)の水墨画の影響を強く受けた。
  • 長谷川派の始祖で、当時のトップクラスの画壇・狩野派を脅かすほどの勢いがあった。
  • 晩年、徳川家康の要請で江戸へ向かい、道中で病に倒れる。
  • 江戸に到着したが、家康には会えず、2日後に死亡。

 

こんなところですね。

名画伯と呼ばれる人たちは、やはり外国の画家の影響を受けていることが多いのですね。

ヨーロッパのような陸続きの国々なら、交流も盛んでしょうし、絵画の芸術が大きく発展したのもうなづけます。

一方で、日本は島国であるため、貿易を行っている国の文化としか接する機会がないので、中国の水墨画の影響を受け、それが主流になっているのは仕方のないことなのかもしれませんね。

それでも、カラーの絵も少ないながらもあったのは事実。

金屏風に書かれた見事な楓図は、等伯の優れた美的感覚の表れなんでしょうね。

まさに国宝級の才能です。

では、今回はこの辺で。

 

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