麦の日、といっても植物の麦の日のことではありません。
実はこの日は、歌手で永遠の歌姫の称号を持つ美空ひばりさんの忌日(命日)です。
なら、なぜ“麦の日”と呼ぶのか?
今回は、麦の日と美空ひばりさんについてチェックしてみました。
皆様の参考になれば幸いです。
■なぜ“麦の日”と呼ぶのか?
それは、麦が大量に実るこの時期は、
麦畑に鳥の“ひばり”が大量に住み着く時期
なんです。
ひばり↓
それにちなんで、美空ひばりさんの忌日を麦の日と言うそうです。
また、美空ひばりさんの忌日ゆえに、彼女のヒット曲「リンゴ追分」から林檎忌とも呼ぶそうです。
偉大な歌手は、記念日まで出来てしまうんですね。
歌の力の凄さを改めて実感しました。
でも、そんな偉大な歌姫が、なぜ亡くなられてしまったのか?
それについては、次の項目をご覧ください。
■美空ひばりさんの死因
死因は間質性肺炎。
間質性肺炎は、難病指定されている病気で、肺の奥にある肺胞を包んでいる膜が高質化して呼吸が困難になる病気。
順天堂病院の医師団による治療の甲斐もなく、呼吸不全を併発して亡くなられたとのこと。
既に肝硬変を患っていたため、間質性肺炎に効くとされるステロイドホルモンを投与できなかったことも原因の一つ。
享年52歳でした。
でも、彼女の歌は永遠。
不死鳥のごとく時代を経ても蘇り、世代を超えて今でも聴かれています。
■美空ひばりさんの「リンゴ追分」
動画サイトYoutubeに
リンゴ追分がアップされてました。
よろしければ動画をごらんください。
■美空ひばりさんのシングルは44作品
美空ひばりさんが逝去される1989年6月までに、44作品がシングル化されています。
河童ブギウギ(1949年)
悲しき口笛(1949年)
東京キッド(1950年)
越後獅子の唄(1950年)
私は街の子(1950年)
ひばりの花売娘(1950年)
あの丘越えて(1951年)
リンゴ追分(1952年)
お祭りマンボ(1952年)
津軽のふるさと(1953年)
ひばりのマドロスさん(1954年)
波止場だよ、お父つぁん(1956年)
港町十三番地(1957年)
花笠道中(1958年)
哀愁波止場(1960年)
車屋さん(1961年)
ひばりの渡り鳥だよ(1961年)
ひばりの佐渡情話(1962年)
恋の曼珠沙華(1962年)
哀愁出船(1963年)
柔(1964年)
悲しい酒(1966年)
真赤な太陽(1967年)
芸道一代(1967年)
チロリン節(1967年)
むらさきの夜明け(1968年)
花と炎/人生一路(1970年)
ある女の詩/思い出の鞄(1972年)
一本の鉛筆(1974年)
雑草の歌(1976年)
おまえに惚れた(1980年)
恋女房/昭和ひとり旅(1981年)
剣ひとすじ(1981年)
人恋酒(1981年)
裏町酒場(1982年)
残侠子守唄(1983年)
しのぶ(1985年)
愛燦燦(1986年)
好きなのさ(1987年)
みだれ髪(1987年)
川の流れのように(1989年)
↑このシングルが最後のシングル。
これより後のシングルは、過去に収録した音源のシングル化。
流れ人/元禄港歌
(1999年 1980年の舞台「元禄港歌」の音源)
越前岬
(2001年 1979年録音、川中美幸の楽曲とは別作)
武蔵流転(2003年)
以上、Wikipediaより引用
■麦の日以外の日本の6月24日
五月雨忌
ドレミの日
美空ひばりさんの忌日だけでなく、村下孝蔵さんの忌日でもあるんですね。
どちらも歌手として名をはせた人たち。
そして、国際的には6月24日はドレミの日。
いずれも音楽に関連しています。
偶然とは思えない、不思議な事実ですね。
では、今回はこの辺で。
■関連項目