■漱石の日ってどんな日?
漱石の日は、小説家として有名な夏目漱石氏が、文部省からの文学博士号授与を辞退した日を記念して作られた日です。
日付は、1911年(明治44年)の2月21日。
ご本人曰く「自分には肩書きは必要ない」とのこと。
辞退したといっても、当時の文部省専門学務局長だった福原鐐二郎氏に直接言ったワケではなく、手紙で辞退の旨を伝えただけだそうです。
まさか、辞退するとは夢にも思わなかったでしょうね。
それにしても、もったいないですね。
ちなみに、同じ夏目漱石の記念日として、漱石忌(12月9日)があります。
■提唱・制定者は?
漱石の日の制定者は不明です。
■日付の理由は?
日付の由来は前述のとおりです。
■日本記念日協会に登録されているの?
漱石の日は、日本記念日協会に認定・登録されていません。
そもそも、記念日の制定者が不明のため、誰も申請していないと思われます。
■夏目漱石メモ
- 本名:夏目金之助(なつめ きんのすけ)
- 生年月日:1867年2月9日
- 生誕地:武蔵国江戸牛込馬場下横町(現・東京都新宿区馬場下町)
- 最終学歴:帝国大学英文科(現・東京大学)
- 職業:小説家・評論家・英文学者
- 死没:1916年12月9日(49歳没)
- 主な作品:『吾輩は猫である』(1905年)
『坊っちゃん』(1906年)
『草枕』(1906年)
『三四郎』(1908年)
『それから』(1910年)
『門』(1911年)
『彼岸過迄』(1912年)
『行人』(1914年)
『こゝろ』(1914年)
『明暗』(1916年)
◆夏目漱石のエピソード
- 漱石という名前は正岡子規のペンネームだったが、譲り受けた。
- 奥さんはヒステリー症が激しかった。
- 小泉八雲の後任で東京帝大で教鞭をふるったが不評だった。
- 自身が責した生徒が華厳の滝で入水自殺したため、漱石のせいではないかと風評被害を受けた。
- 風評被害が原因で、一時的に病んでしまった。(神経衰弱)
- 実は処女作の「吾輩は猫である」は、神経衰弱の治療の一環として書かれた。
- 文学博士号の授与を辞退した。
- 最後の作品「明暗」は未完の作。
(執筆途中で漱石が亡くなったため。)
以上、こんなところですね。
歴史に名を遺す人たちは、やっぱり普通の人とは違ったエピソードがあるんですね。
それにしても、博士号を辞退してしまうとは、なんともすごい精神の持ち主だと思いました。
もったいないですね。
私にください。(笑)
では、今回はこの辺で。
■関連項目

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