レモンの日【10月5日】│悲しい由来

◆10月5日はレモンの日

毎年10月5日はレモンの日です。

レモンは、私たちの生活になじみ深いフルーツですよね。

スーパーなどの食品売り場に行けば、必ずと言っていいほど普通に売られています。
一年中見ない日は無いくらいです。

今回は、レモンの日について語ろうと思います。
皆様の参考になれば幸いです。

 

■10月5日がレモンの日である理由(由来)

実は、レモンの日は、詩人の高村光太郎さんの奥様の智恵子さんの命日なのです。

智恵子さんは重度の肺結核を患っていて、亡くなる数時間前にレモンをかじって食べました。
その日こそ、10月5日だったのです。

高村幸太郎さんは、そのことを自身の著書の智恵子抄の中で、「レモン哀歌」という作品を残しています。

「そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ」

引用元:「智恵子抄」青空文庫

そのことに因んで、10月5日はレモンの日と制定されました。

以上が、10月5日がレモンの日である理由であり由来です。

とても悲しいエピソードがあったんですね…。

 

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■高村光太郎さんってどんな人?

高村光太郎さんは、学校の教科書にも登場する有名な詩人です。
彫刻家でもありました。
(故人です。1883年3月13日~1956年4月2日 73歳没)

主な作品は「道程」「智恵子抄」「智恵子抄その後」。

当時では珍しい恋愛結婚だったそうで、自分の奥さんへの想いやエピソードを作品にしてしまうほどの愛妻家でした。

智恵子さん自身も洋画家・紙絵作家で、光太郎さんの影響を受けており、出会った二人は意気投合して結婚したそうです。

「智恵子抄」「智恵子抄その後」の2作品は、結婚前から死後までの30年間の想いがこもった作品です。

高村光太郎さんの作品は、その後の様々なジャンルの作品に影響を与え、創作の素材になりました。

智恵子抄に関しては、映画化・ドラマ化までされています。

とても古い作品ですが、社会への影響力はとても大きかったのです。

 

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■10月はレモンの収穫の時期

現在は、レモンは1年中食べることができる柑橘類の一種ですが、レモンにもちゃんと時期があります。

日本のレモンの収穫の時期は10月~3月で、秋・冬が旬なのです。
(9月に収穫される場合もありますが、ほとんどは色んでいないグリーンレモンです。)

レモンの日は、まさにレモンが旬の時期に入ったころの日ということになります。

智恵子さんは旬なレモンを食べたのに…。
とても悲しいことですよね…。

そんなレモンの日の由来を思いながら、レモンティーやサラダ料理を嗜むのも感慨深くていいでしょうね。

余談ですが、真夏の8月頃に売られているレモンは、ほとんどが外国産だそうです。
収穫された日本のレモンは在庫切れになってしまうことが多いそうです。

 

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■レモンの日以外の日本の10月5日

時刻表記念日
レジ袋ゼロデー

時刻表記念日とは、
120年以上も前の1894年(明治時代)の10月5日に、日本で初めて本格的な時刻表(汽車・汽船など)が導入されたことを理由に制定されました。

ちなみに、初の時刻表は「汽車汽船旅行案内」という月刊誌であり、福沢諭吉の勧めで手塚猛昌が発行したそうです。
(庚寅新誌社(こういんしんししゃ)発行)

レジ袋ゼロデーは、ゴミの排出量を減らすことを目的として、レジ袋を使わずにマイバッグ(買い物袋など)を持参を促すために制定されました。

制定者は日本チェーンストア協会(1967年(昭和42年)8月発足)で、制定年は2002年。

現在では、レジ袋は有料になっているので、マイバッグで買い物をする人が増えています。
しかしながら、日本チェーンストア協会の働きかけというよりも、むしろ国の政策によるところが大きいのではないかと思います。

では、今回はこの辺で。

 

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