■河童忌ってどんな日?
河童忌は、記事タイトルのとおり、歴史的に有名な小説家「芥川龍之介」先生の命日のことです。
(1927年7月24日没)
記念日のネーミングの由来は、芥川先生の偉大な作品のひとつ「河童」に因んでいます。
この日くらいは、芥川先生の「河童」などの他の作品を読んでみることをお勧めします。
ちなみに、没後90年にあたる2017年(平成29年)から、東京都北区にある田端文士村記念館が世話役となり、毎年7月24日は「河童忌」のイベントを開催しているそうです。
■提唱・制定者は?
河童忌の制定者は不明です。
当初は、芥川先生の遺族と生前親交のあった文学者たちが集まる法要の名称だったため、しいて言うなら、その法要に集まった人たちということになります。
ちなみに、1930年(昭和5年)の4回目の河童忌から、文藝春秋誌上で「河童忌記念帖」として紹介されたため、それが世間に広まって「河童忌」が定着したそうです。
■日付の理由は?
日付の理由は前述のとおりです。
■日本記念日協会に登録されているの?
河童忌は、日本記念日協会に認定・登録されていませんが、公式サイト内に「その他の記念日」として紹介されています。
■芥川龍之介先生に関するメモ
- 生年月日:1892年3月1日
- 生誕:東京府東京市京橋区(現:東京都中央区)
- 死没:1927年7月24日(35歳没)
- 最終学歴:東京帝国大学英文科
- 職業:小説家
- 学校関連では名前が「龍之助」になっていた。
(戸籍上ではちゃんと「龍之介」。) - 元の苗字は新原だったが、実母の叔父の養子となったため、苗字が芥川になった。
- 大の風呂嫌い。
- 大の犬嫌いだったが、晩年は平気になっていた。
- 非常に速読であり、普通の英文学書なら1日1200~1300ページは楽に読むことが出来た。
- 著作品は63作。
- 実は小説以外にも、詩、短歌、旋頭歌などの作品も残している。
- 亡くなる数か月前に、秘書の平松麻素子さんと心中未遂事件を起こしていた。
- 死因は睡眠薬による自殺。
- 動機は「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」と遺書に記載されていた。
- 芥川先生の「羅生門」は黒澤明監督の映画「羅生門」の題材として起用されたが、先生の別作品「藪の中」の設定等も使用されていた。
参考:Wikipedia
私が初めて芥川先生を知ったのは、小学校の高学年の国語の教科書です。
作品は確か、「蜘蛛の糸」だったと思います。
おおまかなストーリーは、地獄に落ちた極悪な罪人が、お釈迦様が慈悲心で垂らした蜘蛛の糸を伝って、極楽へ登っていこうとする話。
しかし、土壇場で私利私欲に取りつかれた罪人は、自分が登る蜘蛛の糸に、同じようにしがみついて登ってくる連中を落とそうとします。
そのため、蜘蛛の糸が切れてしまい、結局全員が地獄へ逆戻りになったという内容だったと思います。
なぜ、お釈迦様が蜘蛛の糸を垂らしたのかというと、罪人が犯罪の時に唯一救った命が蜘蛛だったからです。
なので、最後のチャンスとして、蜘蛛の糸を垂らしたというワケですね。
似たような話は他の童話や神話にもあったような気がしますが、私欲に囚われてしまう人は、チャンスを与えられても逃してしまうものなのです。
つまり、チャンスを逃さないような、芯がしっかりとした人は、そもそも地獄に落ちるようなことはないのです。
人生の教訓ですね。
では、今回はこの辺で。
■関連項目