あじさい忌【7月17日】石原裕次郎さんを偲ぶ日

◆7月17日は「あじさい忌」

■あじさい忌ってどんな日?

あじさい忌とは、稀代の名俳優・歌手の石原裕次郎さんの命日に因んだ記念日です。
(石原裕次郎さんの命日は、1987年(昭和62年)7月17日。)

↓若かりし頃の石原裕次郎さん(1957年)

石原裕次郎さんは、生前は紫陽花の花が好きだったそうです。
それで、忌日の名称に「あじさい」の花の名前を使ったのだそうです。

ちなみに、名前が酷似し、日付が同じ記念日に「紫陽花忌」(7月17日)があります。
こちらの記念日は、俳人の水原秋桜子(みずはらしゅうおうし)さんの忌日です。

■提唱・制定者は?

あじさい忌の制定者は不明です。

■日付の理由は?

日付の理由は前述のとおり、忌日を記念日としています。

■日本記念日協会に登録されているの?

あじさい忌は、日本記念日協会に認定・登録されていません。

■石原裕次郎さんに関するメモ

  • 生年月日:1934年(昭和9年)12月28日
  • 神戸市須磨区生まれ、北海道小樽・神奈川県逗子市で育つ。
  • 最終学歴:慶應義塾大学法学部政治学科中退
  • 映画「太陽の季節」(1956年5月17日公開)で俳優デビュー。
    (※兄で小説家(当時)の石原慎太郎さんの芥川賞受賞作品の映画化。)
  • 映画「狂った果実」(1956年7月12日公開)で初主演。
    (※太陽の季節と同じく、兄で小説家(当時)の石原慎太郎さんの短編小説の映画化。)
  • デビュー後の3年間で30作品もの映画に出演した。
    (この頃の裕次郎氏の映画でのキャッチコピーは「タフガイ」。)
  • 歌手としては、「銀座の恋の物語」(1961年)が最も売れた。
    (累計335万枚のトリプルミリオンヒット。)
  • 1963年(昭和38年)に石原プロモーションを設立。
    (後の通称は「石原軍団」。)
  • 石原プロモーションが手掛けたTVドラマ「太陽にほえろ!」「大都会」「西部警察」はあまりにも有名。
  • 裕次郎氏は、実はヨットの名手で、1963年開催のトランスパシフィック・ヨット・レース(国際的なヨットレース)に、日本人でありながら初参加した実績がある。
    (裕次郎氏が参加するまで、日本からこの国際的ヨットレースに参加できる人は皆無だった。)
  • 1978年に舌癌の手術を受ける。
    (本人には癌だと告知されていない。)
  • 1981年4月、解離性大動脈瘤で緊急手術。
    奇跡的に生還するが、発熱や難聴などの後遺症が残る。
  • 1984年に肝臓癌を患う。
    (この時も、本人には癌だと告知されていない。)
  • 1986年5月、肝内胆管炎で7月まで入院。
    7月以降はハワイで静養。
  • 1987年4月20日に、ハワイで静養中に体調不良で緊急帰国・検査入院した。
    同年5月2日に一旦退院したが、容体が悪化したため再入院。
  • 7月17日16時26分、2度目の心停止で死去。52歳没(享年53)。

 

こんなところですね。

私が初めて石原裕次郎さんを知ったのは、小学生の頃にみた刑事ドラマ「太陽にほえろ!」でした。

とても貫禄のある演技で、自分の父親よりも男らしいと感じたことがあります。

西部警察では、さらに貫禄が増し、まるで大組織のドンのような存在感がありました。

そんな彼が亡くなったと聞いた時は、とても信じられませんでした。

「どんな人でもいつかは死ぬ」と、ハッキリと理解したのは、彼の死でした。

惜しい人ほど、早く亡くなってしまうものですね…。

では、今回はこの辺で。

 

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