どちらも春などの行楽には欠かせない、美味しい食べ物ですね♪
でも、みたらし団子は4個なのに、なぜ花見団子は3個なのか?
気になりませんか?
その理由は、団子の発祥の違いにあります。
発祥の違いを説明するには少々長くなりますが、皆様の参考になれば幸いです。
手っ取り早く結論だけを知りたい方は、下記の目次からリンク先の“■まとめ”へ飛んでください。
■みたらし団子の発祥は?
みたらし団子の発祥は京都です。
元々は、みたらし団子は5個だったのです。
(普通は4個です。)
現代でも、京都などの観光地では、みたらし団子は5個で売られている場合もありますが…。
みたらし団子の発祥は、鎌倉時代の京都で後醍醐天皇の時代まで遡ります。
後醍醐天皇↓
みたらし団子発祥のエピソードは以下のとおり。
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昔、京都の下鴨神社を後醍醐天皇が訪ねました。
その際に、手を清めるために神社内にある御手洗池(みたらしいけ)で手を洗ったのです。
すると、御手洗池から泡が1個出てきたそうです。
そのあと、4連続で泡が次々と出てきたそうです。
下鴨神社において、御手洗池から泡が出てくることは、縁起の良いこととされていました。
それが、合計5個も出てきたことで、
非常に縁起が良いことが起こったとされました。
当時、下鴨神社では神へのお供え物として、串に刺さない御手洗団子を神前にお供えしていましたが、このエピソードを機に、串に団子を5個刺して売るようになったのです。
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こんなところですね。
5個といっても、連続5個ではなく、エピソードに倣って、1個+4個の形で串に刺したそうです。
○-○○○○─
↑上のような感じです。(笑)
これがみたらし団子の発祥です。
でも、この段階では、みたらし団子は5個ですよね?
では、なぜ5個から4個に減ったのか?
その理由は次の項目で解説します。
■5個から4個に減った理由
京都発祥のみたらし団子は、長い間5個でした。
しかし、江戸時代の後期、1768年に4個に減ったのです。
なぜ、4個に減ったのか?
その理由は四文銭の発行にありました。
1768年に発行された四文銭(寛永通寳)は、非常に使い勝手が良い硬貨として日本各地で流通しました。
しかし、当時のみたらし団子は1串五文で売られていました。
なので、四文銭一枚では、みたらし団子は買えませんでした。
そのため、一文銭を余分に用意しなければならず、せっかちな江戸っ子は、
「めんどくさいから、買わねぇ」
「四文銭1枚で買えるようにしてくれよ!」
などと、不満を言ってくるようになったのです。
それは、江戸だけではなく、全国でもそんな感じになっていました。
そこで仕方なく、団子屋は1串を四文銭で買えるようにしたのです。
でも、5個のみたらし団子を四文銭で売ると、赤字になってしまいます。
なので、5個のみたらし団子の最初の1個を無しにして4個で売り出すことにしたのです。
これによって、みたらし団子は現在の4個になったというワケですね。
- 四文銭の発行+せっかちな江戸っ子
が理由で、みたらし団子は4個になったのです。
江戸っ子、畏るべし…。(笑)
みたらし団子が4個の理由はわかりましたね。
では、花見団子が3個なのは何故なのか?
それは、次の項目で解説します。
■花見団子が3個の理由
花見団子が3個の理由は、
花見団子の考案者の粋な性格から来ています。
考案者は、かの有名な豊臣秀吉です。
この人です↓
つまり花見団子の発祥は、安土桃山時代にまで遡ります。
1598年の春、既に天下人となった豊臣秀吉は、自分の権勢を誇示する意味も含めて、大規模な花見を実施しました。
場所は京都の醍醐寺。
新しいものが好きな秀吉は、「天下人は人とは違う」ところを見せつけるという意図も含めて、花見の参加者が驚くようなものを考案していました。
そこで思いついたのが、花見団子だったのです。
誰も見たことが無いような、
新しい花見団子を茶菓子として出して、人々を驚かせようと考えたのです。
そこで、日本の四季を表現した、色鮮やかな三色団子を秀吉は考案して実践しました。
- 赤は春(桜のイメージ)
- 白は冬(雪のイメージ)
- 緑は夏(葉が生い茂るイメージ)
という、カラフルな団子を作り上げたのです。
しかし、この花見団子には“秋”がありません。
どうして秋がないのか?
その理由は、語呂合わせの言葉遊びから来ています。
- 食べ飽きない(あきない)
- 商い(あきない)が繁盛する
といった語呂合わせの言葉遊びで、
“秋が無い”理由を表現したのです。
それこそが、花見団子が3個しかない理由なのです。
秋を意識的に抜いた花見団子は、
その風情ある彩が大人気となり、
日本全国に広まっていったのです。
その花見団子が、現代にまで受け継がれているというワケですね。
秀吉の“人とは違うことを意図的にする”という性格は随所に現れていたようで、壺や茶器、茶室の豪華さ、大坂城全体の構造までもが他とは一線を画していました。
天下の傾奇者、前田慶次郎利益との謁見の時も、天下人としての器の大きさを見せたそうです。
なるほど納得ですね♪
■まとめ
- みたらし団子の発祥は
鎌倉時代の京都の下鴨神社
(後醍醐天皇と御手洗池の泡のエピソードがルーツ。) - みたらし団子は元々5個だった
(京都では5個のまま売られていることもある。) - みたらし団子が4個になったのは
四文銭と江戸っ子のせい
(江戸っ子畏るべし!) - 花見団子の発祥は安土桃山時代
- 花見団子の考案者は豊臣秀吉
(花見客に新しくて粋な団子を振る舞い、驚かせたかったから。)
- 花見団子が3個なのは
春冬夏を表現して“秋”を抜いたから - 花見団子から秋を抜いたのは
語呂合わせと言葉遊びが理由
(食べ飽きない(あきない)+商い(あきない)繁盛)
以上、こんなところですね。
みたらし団子と花見団子の個数の違いを調べることで、歴史的な理由があることがわかりました。
実に面白いですね♪
皆さんも団子を食べる時、
なぜ団子の数が違うのかを思い出してみてください。
一味違った団子になると思いますよ?(笑)
では、今回はこの辺で。
■関連項目