一見、なんでもない日だと思っていましたが、9月12日は「宇宙の日」という記念日が制定されていたんですね。
なぜ、9月12日が宇宙の日なのか?
それは、日本人宇宙飛行士の毛利衛さんが、1992年の9月12日にスペースシャトルで宇宙へと旅立った日だからです。
丁度、1992年は国際宇宙年でした。
なので、国際宇宙年にふさわしい、宇宙の日を決めようという話になりました。
そこで、当時の科学技術庁や文部省宇宙科学研究所など国の機関が集まり、日本国際宇宙年協議会が開かれました。
その会議の結果、
「話題の毛利さんが宇宙へ飛び立った日の9月12日こそがふさわしい。」
ということで、9月12日は宇宙の日に決まったのです。
1992年の同年中に制定されたんですね。
■毛利さんが搭乗したスペースシャトル
毛利さんが搭乗したスペースシャトルはEndeavour OV-105。
通称・エンデバーです。
これですね↓
実は、1986年1月28日午前11時39分(米自国)に、スペースシャトルのチャレンジャー号が爆発事故で7名の人命と共に失われたため、機体数が減少してしまいました。
厳しい予算の中、減少した機体数を補うために、旧式のスペースシャトルを改装して使う案が出たそうです。
しかし、元々保管してあったスペアパーツを流用して、新しくシャトルを製造したほうが結果的には安く造れるということで、エンデバーが誕生したそうです。
昔のスペアパーツを流用して作られた機体とはいえ、もちろん中身は最新型。
決して劣った機体ではなかったのです。
■当時の毛利さん
毛利さんがエンデバーに乗った当時は44歳。
日本人で二番目の宇宙飛行士でした。
(厳密には科学技術者で、専門の宇宙飛行士ではない)
「宇宙からは国境線は見えなかった」
宇宙から帰還した彼の有名なコメントですね。
宇宙に出た毛利さんは、レーダーで地球の地形を正確に観測して調べる仕事をしていました。
日本に戻ってからは、様々な役職を兼任し、数年を経て、東京工業大学大学院総合理工学研究科で連携教授を務められました。
もちろん、日本科学未来館の館長※も兼任されました。
(※2021年3月末に退任されています。)
他にも、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の宇宙環境利用システム本部有人宇宙活動推進室長など、様々な組織で重要な役職に就かれた、とても立派な方なのです。
ちなみに、日本人で一番目の宇宙飛行士は、秋山豊寛(あきやま とよひろ)さん。
ロシア(当時 ソ連)の宇宙船ソユーズTM-11で宇宙へ行ったそうです。
秋山さんはジャーナリストでもあったので、世界初の宇宙特派員とも呼ばれたそうですよ。
■宇宙の日以外の日本の9月12日
水路記念日
海上保安庁海洋情報部※が1947年に制定した記念日。
(※当時は運輸省水路部)
水路といっても、
艦船などが通行する海運上の水路のこと。
地上や地下に掘られた水路とは全く概念が異なります。
意外な記念日があるものですね。
では、今回はこの辺で。