■漫画週刊誌の日ってどんな日?
漫画週刊誌の日は、1959年(昭和34年)3月17日に、日本初の漫画週刊誌が発刊されたことにちなんで作られた記念日です。
その初の漫画週刊誌とは「週刊少年サンデー」と「週刊少年マガジン」の両方です。
週刊少年サンデー創刊号↓
©小学館 (写真左の男性は読売巨人軍・長嶋茂雄氏)
週刊少年マガジン創刊号↓
©講談社 (写真右の男性は朝潮太郎氏[大相撲第46代横綱])
どちらも、当時有名な人気漫画家を抱え、お互いに発行部数を伸ばしていたライバル誌同士でした。
実は、発刊当時の週刊少年サンデーは30円、週刊少年マガジンは40円でした。
当時の10円差は、大きな額であったため、子供のためにサンデーの方を買う親たちが続出したそうです。
価格競争での大きな不利を悟った講談社側は、マガジンの5号から30円に値下げして対処したそうです。
ちなみに、週刊少年マガジンで連載されていた漫画作品が、ライバル誌の週刊少年サンデーへ移籍したという事実があります。
一つは「ワンダー3」(後述のW3事件)、もう一つは「天才バカボン」です。
天才バカボンの方は、事件というよりも、「ほかの漫画誌にも断続的に掲載された」というイメージであり、週刊少年サンデーだけでなく別の漫画誌などにも掲載され、作品の人気の高さが伺えました。
■提唱・制定者は?
漫画週刊誌の日の制定年は不明です。
■日付の理由は?
日付の理由は前述のとおりです。
■日本記念日協会に登録されているの?
漫画週刊誌の日は、日本記念日協会に認定・登録されていません。
■連載中の漫画作品が移籍する事件(W3事件)
前述の少年マガジンで連載されていた漫画が、連載中であるにも関わらず少年サンデーへ移籍するという、現在では考えられない事件が発生しました。
1965年の「W3(ワンダー3)事件」です。
◆W3事件概要
1965年当時、虫プロダクション(アニメ制作)でいくつかのアニメ作品が企画されていたが、それらに酷似したアニメ作品が、他のプロダクションで企画されていたことが判明。
虫プロダクション内に「産業スパイがいる?!」と大騒ぎになった。
その疑惑の作品は「宇宙少年ソラン」(エイケン)であり、虫プロダクションで企画していたアニメ作品「ナンバー7」とキャラクター設定等が酷似していたため、内容そのものを変更せざると得ない状況に追い込まれた。
(これで「ワンダー3」が誕生した。)
そういった事情があった後、虫プロダクションのアニメ企画「ワンダー3(以後、W3)」の放送と同時進行で、手塚治虫氏は週刊少年マガジンに漫画版のW3を連載していた。
そこへ、疑惑の渦中にあった「宇宙少年ソラン」の漫画版の連載が週刊少年マガジンで始まった。
そのため、手塚治虫氏はW3の連載6回目で掲載誌を週刊少年サンデーに変更した。
こんなところですね。
ネタをパクった(と思われる)作品が、自分が連載している漫画誌で連載開始されたら、そりゃあキレるでしょうね。
(手塚氏は、恐らく講談社の編集者にもスパイがいると思ったのかもしれません。)
まあ、当時の虫プロダクションの情報管理に問題があったと言えばそれまでですが、さぞかし悔しい思いをしたことでしょう。
でも、手塚治虫氏は、漫画の神様の称号を得るほどの偉大な作家。
様々な困難を経て、多くの漫画やアニメの作品を世に送り出してくれたのです。
素晴らしいの一言ですね!
では、今回はこの辺で。
■関連項目