パケット通信量の上限を超えてしまい
通信速度に制限がかかること
を意味する。
パケ死が起こる理由は、一定のパケット通信量をオーバーすると、インターネットへの接続に利用されているキャリア側のサーバーで通信制御が働く。
この制御によって、1秒間あたりのデータ通信量そのものに制限が加えられる。
その結果、通信速度が遅くなるワケである。
・パケ死の元々の意味
元々、“パケ死”という言葉は、2002年ごろから使われていた。
当時の意味では、
支払いきれない巨額の通信料請求がきて
死ぬほど辛い状況になった
というものだった。
2000年代は、携帯電話に付随するインターネット通信サービスは従量課金制であった。
従量課金制とは、通信データ量が既定のレートで利用料として加算される制度。
例えば、データ1パケット毎に0.1円など。
メールを送る程度なら、大したデータ量にならないので、従量課金制でも月々の料金は数百円~千数百円程度に収まる。
ところが、2000年代後半になると、携帯サービスのICT化に拍車がかかり、様々なインターネットサービスを携帯からも利用できるようになった。
写メやサイト閲覧などが、そのいい例である。
そのため、携帯ユーザーが利用するデータ通信量そのものが、大幅に増えることとなった。
それに伴い、パケット通信料も大幅に激増することになる。
例えば、写メの大量送信、動画・画像サイトなど、ものすごいデータ量を使用するコンテンツを従量課金制の携帯ユーザーが利用するとする。
月に1~2回ならともかく、毎日数時間そういうことを続けるユーザーもいる。
(いわゆるヘビーユーザー)
その結果、月に数万円~数十万円という、支払いきれないような巨額なパケット通信料をヘビーユーザーは請求されることとなった。
一般家庭の家計では、月に数十万円の請求は簡単に出せるワケが無く、いわゆる“死活問題”“死ぬほどキツイ”の状態になる。
これこそが“パケ死”の本来の意味だった。
・“パケット定額制”そのものが無かった
当時は、“パケット定額制”そのものが携帯サービスに無かった。
携帯によるインターネット利用者数を予測できなかったのだろう。
そのため、通信量の増大に対して、キャリア側のサービスが追い付かず、“パケ死”といった状況を生み出す要因となった。
その一方で、パソコンの場合のインターネットサービスでは、完全月額定額制というのが既に存在していた。
パソコンなど、有線でインターネットをする場合、ISP(インターネットサービスプロバイダ)と契約する。
ISPに一定の月額料金さえ支払っていれば、パケット通信料に関わらず、インターネットをしたい放題だった。
(技術的な理由で、通信速度そのものの制限および遅滞はあったが・・・)
その感覚で、同じように携帯でインターネットをやりたい放題やってしまい、パケ死が発生してしまったというワケだ。
ヘビーユーザーにとっては、携帯よりもパソコンでインターネットをする方がはるかに安上がりな時代だった。
・“巨額請求”から“上限超えへ”の意味の変化
2010年代になると、キャリア同士による携帯サービス合戦に拍車がかかり、様々なプランが導入されるようになった。
それに伴い、顧客確保の企業戦略もあってか、パケット定額制のサービスが当たり前になった。
「月に通信量○GB(ギガバイト)までなら、月額○○○○円でOK。」
「ただし、月の通信量を超えた場合は、通信速度を制限します。」
などといった、一定の制限はあるものの、モバイルでも比較的自由にインターネットができるサービスとなった。
それに併せて、“パケ死”の意味も変化を伴うようになった。
現在、携帯(スマホ)を使い始めた時、既にパケット定額制であるのが当たり前の時代になっている。
従量課金制というサービス制度そのものが、消費者の前から姿を消したのである。
そのため、2000年代から携帯を使っていた人と、2010年代以降に携帯(スマホ)を使い始めた人とでは、“パケ死”の意味の解釈が全く異なることとなった。
また、2000年代初頭から携帯を使っていた人にとっては、“パケ死”という現象そのものがなくなったので、その言葉自体を使わなくなった。
そして、2010年代以降からの携帯利用者は、
“パケ死”の言葉を、
- データ通信量オーバーによる通信速度制限
として使っていることがほとんど。
故に今では、“パケ死”の意味は、
パケット通信量の上限を超えてしまい
通信速度に制限がかかること
が主流なのである。
今後、モバイルサービスのパケット定額制が、PCでするインターネットと同じく、完全月額定額制になれば、“パケ死”という言葉自体が死語になるだろう。