雨傘運動とは何なのかわかりやすく解説

雨傘運動をわかりやすく言うと、

香港で行われた民主化要求運動

のこと。

2014年9月28日から79日間続いた。

別名、香港反政府デモ雨傘革命とも言う。

“雨傘”の由来は、香港警察のデモ鎮圧部隊による催涙スプレーや催涙弾などの攻撃を、雨傘を使って防いで対抗したことから来ている。

デモの参加者は、学生を中心に香港市民合わせて数万人に及んだ。

雨傘運動の発端は、中国の全国人民代表大会常務委員会による、香港特別行政区行政長官選挙の改正の決定。
(2014年8月31日)

通常は、香港市民の投票による“一人一票”で行政長官が選出されるが、改正によって、

「行政長官候補は指名委員会の過半数の支持が必要であり、候補は2~3人に限定する。」

となってしまった。

この決定によって、事実上、親中派しか行政長官になれないこととなった。
(指名委員会の過半数は親中派であるため。)

そのため、香港の民主化団体は、

“中央政府の意に反する人物の立候補を事実上排除する決定”

として、学生に呼びかけて授業などのボイコットを開始した。

また、ボイコットをきっかけに、真の普通選挙「行政長官選挙の民主化」を求めるデモが香港各地で発生した。

香港はかつてイギリスの領土であった歴史的経緯がある。
そのため、中国返還後でも、香港市民には「香港は香港、中国とは違う」という意識が根付いていた。

そういう影響もあり、香港では「一国二制度」の下、高度な自治が認められている。
(主権国家の枠組みの中で、一定の自治や国際参加を認める構想。)

そのため、香港特別行政区行政長官選挙の改正の決定は、「一国二制度」の原則に反することになるため、民主化を推す香港市民が反対運動を始めたのである。

主なデモ行為は、街の繁華街の占拠。

金鐘(アドミラルティ)、銅鑼湾(コーズウェイベイ)、旺角(モンコック)などの繁華街で座り込みなどの占拠が行われた。

初期のころのデモ運動は、平和的で秩序のある占拠であった。

しかし、香港警察の対応は、口頭による説得ではなく、催涙スプレーや胡椒スプレーなどによる“暴力的な鎮圧”であった。

そのため、デモの参加者たちは、で催涙弾などから身を守るようになっていった。

その姿が報道され、大きな反響を呼び、雨傘運動雨傘革命などと名付けられた。

また、警察による“鎮圧”以降、デモ隊と警官隊との衝突は激化し、暴力的なぶつかり合いになることが多くなっていった。

(雨傘運動の経緯詳細に関しては、Wikipediaが非常に詳しいので、そちらをご覧ください。)

これらの一連の騒動は、世界的に報道され、日本においても情報番組を賑わせた。
(中国本土内では報道規制された。)

故に、2014年当時の大手検索エンジンで、「雨傘革命」のキーワードランキングがが一時的に急上昇したことがあり、2014年の流行語大賞の候補の中に「雨傘革命」が入った経緯がある。

また、2019年6月9日に発生した香港の大規模デモをきっかけに断続的に発生したデモの影響で、雨傘運動の学生リーダーだった黄之鋒(ジョシュア・ウォン)氏と周庭(アグネス・チョウ)氏が香港警察によって逮捕されたため、再び「雨傘革命」のキーワードが検索され、ランキングが一時的に上昇した。

・2019年6月からの大規模デモ発生

雨傘運動から数年が経った2019年、香港政府による「逃亡犯条例」改正案を切っ掛けに、香港で再びデモ活動が活発になった。

3月・4月と小規模なデモが2度行われていたが、ついに、2019年6月9日に大規模なデモが香港市街で行われた。

逃亡犯条例とは、香港以外の国・地域で犯罪にかかわった容疑者を当該国・地域の要請に応じて引き渡せるよう定めた条例のこと。

つまり、刑事事件の容疑者を中国本土に引き渡すことも可能になる。

この条例が適用されると、中国政府に都合の悪い人を意図的(または恣意的)に犯罪者に仕立て上げ、逮捕・拘束・移送することが可能になるため、民主化団体によって“香港の自治権を脅かす悪法”とみなされた。

そのため、2019年6月6日に、3度目となる条例改正の撤回を求めた大規模デモ(参加者約103万人)が発生した。

それを皮切りに、香港市街及び周辺地域で次々とデモ等が発生した。

発生したデモや政治などの動きは以下のとおり。
(全部は網羅しておりません。)

・6/9:逃亡犯条例反対デモ行進
参加者約103万人(警察発表は24万人)。
デモ隊の一部が暴徒化。警察官ら4人が負傷。

・6/10:雨傘運動中心人物の記者会見
「雨傘運動」の中心人物で民主派政党「香港衆志(デモシスト)」のメンバー、周庭(アグネス・チョウ)氏が、東京都内の日本記者クラブで記者会見。
逃亡犯条例改正案について「中国の独裁が近づいており、香港が返還されてから最も危険な法案だ」と批判した。

・6/12:立法会の建物を包囲
参加者約数万人。
「逃亡犯条例」改正案に反対する香港市民及び学生が、立法会の建物周辺および付近の幹線道路を占拠。
負傷者70人以上。

・6/15:「逃亡犯条例」改正の延期
林鄭月娥行政長官が、「逃亡犯条例」の改正を延期すると発表。
改正案の撤回はしなかった。

・6/16:「撤回せず」で大規模デモ発生
参加者約200万人(警察発表では33万8000人)。
林鄭氏は延期を表明したが、撤回には応じなかったことが理由。
デモ主催者団体は、条例改正の撤回や行政長官の辞任を求めた。

・6/17:行政長官に直接対話要求
参加者約1000人。
条例改正案撤回を求める民主派が林鄭月娥行政長官に直接対話を申し入れた。
行政長官は拒否。

・6/18:改正手続き再開しない
林鄭月娥行政長官は記者会見で、「逃亡犯条例」改正案について「改正手続きを再開しない」旨を述べた。
しかし、民主派が求める改正案完全撤回と辞任には応じず、続投する意向を表明した。

・6/26:改正案完全撤回を求める集会
参加者約1500人(学生ら)。
香港の民主派団体が逃亡犯条例」改正案の完全撤回を求める集会開催。
彼らは事前に、香港の主要な総領事館に対し、G20大阪サミットでこの問題を取り上げるよう求める請願書を提出していた。

・7/1深夜~2日未明:
香港デモ隊が立法会議場へ突入
参加者約55万人の一部。
2019年7月1日深夜、暴徒化した若者が立法会の建物内に乱入。
香港警察は催涙ガスでデモ隊を強制排除した。(2日未明)

・7/7:九龍半島の繁華街でデモ行進
参加者約23万人(警察発表は5.6万人)。
デモ参加者は、九龍半島の繁華街の尖沙咀(チムサーチョイ)を行進。
大規模デモが九龍地区で行われたのは初めて。

・7/9:行政長官「条例案は死んだ」
林鄭行政長官は一連のデモを受け、「条例案は死んだ」と表明。
「改正手続きを再開しない」と言及し、2020年7月に改正案は自動的に廃案になる模様。
しかし、撤回の言葉自体は言及していない。

・7/13:新界地区・上水でデモ発生
参加者約3万人。
行政長官の発表にも関わらず、デモ発生は止まることを知らない。
デモ終了後、警察とデモ隊の一部との衝突があった。

・7/14:新界地区の沙田で改正案反対デモ
参加者約11万5千人(警察発表は2万8千人)。
条例改正案の完全撤回を求めたデモ。
同日、林鄭月娥行政長官が以前から辞任を数回申し出ていたが、全て中国政府に拒否されていたことが報道によって判明。

・7/21:大規模デモ再開
参加者約43万人(警察発表は13万8千人)。
香港の民主派団体は「逃亡犯条例」改正案に反対するを再び実施。
しかし、批判の対象はデモ隊と衝突を繰り返す警察に移った。
また、デモ隊の一部は抗議の矛先を中国政府に向け始めた。

・7/27:警察の対応遅れ批判デモ
参加者約28万8千人。
香港・新界地区の元朗で、反対派市民を狙ったとみられる暴行事件への抗議デモが発生。
警官隊は催涙弾とゴム弾を使用し、デモ隊を強制排除した。
デモの原因となった暴行事件は7/21に発生。
当時の警察の対応が遅れたため、「暴行事件の首謀者と警察が結託した」と疑われていた。

・7/28:強制排除に反対するデモ
参加者約数万人。
香港警察による強制排除に反対するデモ。
警察側は催涙弾やゴム弾を発射してデモ隊を強制排除した。
これを受け、香港政府は29日未明に声明を発表。
「あらゆる暴力行為を阻止し、社会秩序を速やかに回復する」
と、デモ行為を“暴力”として認定した。

・8/3:九龍地区でデモ発生
香港の九龍地区の旺角(モンコック)や尖沙咀(チムサーチョイ)で、「逃亡犯条例」改正案に反対するデモが発生した。
その影響で、香港島と九龍地区を結ぶ海底トンネルが一時封鎖状態になり、警官隊とデモ隊が衝突した。

・8/5~8/6未明:
「逃亡犯条例」改正案反対ゼネスト
参加者約35万人。
香港各地で抗議集会が開催され、閉会後に警察署への投石や放火、警官隊との衝突が多発した。

・8/10~8/11:
香港各地で抗議デモ発生
参加者数は不明。

・8/11~8/12:
香港国際空港での抗議デモ発生
抗議行動の拡大+航空会社職員のストライキの影響で香港国際空港が全便欠航となった。

・8/13:香港国際空港でデモ隊と警官が衝突
参加者約数千人。
空港は業務を再開していたが、デモ騒動の影響で、結局400便以上の欠航を出す事態となった。
香港の裁判所は、14日までに空港の利用妨害を禁止する臨時命令を出した。

・8/17:香港で教員らによるデモ
参加者約2万2千人。
中国への愛国心を植え付ける「愛国教育」への反発。

・8/18:香港で大規模デモ集会
参加者約170万人。
「五大要求」を掲げ、集会の後に警察が許可しなかったデモ行進も行われた。
五大要求は以下のとおり。

  • 有権者が1人1票を投じる普通選挙の実現
  • 条例改正案の完全撤回
  • 警察の暴力行為を調査する独立委員会の設置
  • 抗議者の逮捕取り下げ
  • 抗議を暴動とした認定の取り消し

幸いなことに、今回のデモ活動においては、警官隊との衝突はなかった。

・8/20:五大要求にゼロ回答
香港行政長官の林鄭氏はデモ参加者の要求にゼロ回答だったため、再び抗議デモが発生することが懸念された。

・8/23:手をつないで平和をアピール
参加者多数。
デモ参加者が手をつないで「人間の鎖」を作った。
デモが平和的な抗議活動であることを世界に改めてアピールする狙い。

・8/24:香港の九龍地区・観塘でデモ
参加者約170万人。
デモ自体は平和的に行われたが、一部の若者らが警官らと衝突し、催涙弾で鎮圧する騒ぎもあった。

・8/28:警察官のセクハラで抗議デモ
参加者数不明

・8/29:「緊急状況規則条例」の発動示唆
緊急状況規則条例とは、英植民地時代に制定された条例。
行政長官の権限で出版、通信、人の移動、輸出入、生産などの社会経済活動を幅広く制限できるため、「事実上の戒厳令」となっている。
それを林鄭行政長官が8/27日の記者会見で示唆したため、民主派側は、香港基本法で定められた「集会やデモの自由」が著しく損なわれると強く反発している。
また、親中派の中でも、緊急条例発動については経済的大ダメージの懸念があるという見方が広がった。
そんな中、香港独立を主張する急進的な政治団体の創設者、陳浩天氏が逮捕された。

・8/30:
雨傘運動の元リーダーたちの逮捕・拘束
香港警察は2014年の雨傘運動の学生リーダー黄之鋒(ジョシュア・ウォン)氏と周庭(アグネス・チョウ)氏を逮捕した。
中国政府に反する政治活動家を厳しく取り締まる姿勢が浮き彫りになった。
黄之鋒氏は雨傘運動での一件で逮捕され、2017年8月17日に禁固刑となっていたが、2019年6月に刑期を終えて出所し、すぐに逃亡犯条例改正案の反対デモに参加していた。
しかしながら、黄之鋒氏と周庭氏は、逮捕同日の夜に釈放されており、逮捕自体が他の活動家に対する見せしめと見られている。

・9/4:
逃亡犯条例改正案の正式撤回
香港の行政長官・林鄭月娥氏は、2019年9月4日にテレビ演説で逃亡犯条例改正案の正式撤回を発表した。
これによって、五大要求の内の一つが実現したことになったが、一部のデモ参加者に対する暴動罪での起訴取り下げなど、他の四大要求は受け入れられないとも言明したため、デモの終息の見通しは困難であるという見方が強い。

実際に、上記以降も、香港各地でデモが断続的に続いている。

おそらく、「五大要求」のすべてが実現するまで、香港デモは終息しないだろうと思われる。

 


関連項目

なし


 

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