憲法どおりに権力を使う主義
ということ。
日常で行使されている政治権力などが、
ちゃんと、
憲法に基づいて行われているものなのか
を問うのが立憲主義のスタンス。
要するに、
「国家権力の正統性は憲法にある」
というのが立憲主義の基本的な考え方である。
・つまりは憲法次第で・・・
立憲主義は、国家権力が憲法どおりに行使されているならばOKという考え方を持っている。
それは、裏を返せば、
「憲法どおりなら、何やってもOK」
という極端な言い方もできる。
基本的に国の憲法は、
正義と善性に基づいて作られている。
少なくとも日本国憲法は、
そういう思想を元に作られている。
そういう場合は、
立憲主義はとても良い方向に働く。
しかし、某国のように、憲法そのものに独裁的で独断的な思想と方向性があるならば、立憲主義は途端に危険な方向へと国を傾かせていく。
まあ、そういう国の場合は、
立憲主義などとは呼ばれないが。
・憲法の解釈に落とし穴
憲法が正義と善性に基づいて作られている場合は、立憲主義は善い方向へ働くが、一つ、大きな落とし穴がある。
それは憲法の解釈。
憲法の解釈次第によっては、
国家権力があらぬ方向へと向くことも十分にあり得る。
2015年に日本の国会で可決された集団的自衛権の行使は、まさに、憲法の解釈を若干変えたことによって実現したもの。
アメリカおよび世界の安全事情を考えると、日本も憲法9条の戦争放棄のスタンスを維持したままでは、日米安保条約をいつ切られてもおかしくない状態になっていたのかもしれない。
「同盟国がやられてるんだから、お前も助けに来い。」
という、人間同士ならば理解できる話も、国同士の話となると事情が変わってくる。
当時の日本は、憲法9条の戦争放棄が足かせとなっていて、集団的自衛権を行使できないでいた。
となると、憲法改正が必要になってくるが、日本の世論がそれを許さない。
そこで出た案が、
憲法解釈を変えようというもの。
世論と野党からバッシングと妨害を受けながらも、強行採決によって憲法解釈が変えられ、ついに集団的自衛権の行使法案が可決した。
この件に関しては、
合憲ではなく違憲なのではないかとも思える。
いくら憲法が正義と善性に基づいて作られたとしても、その解釈自体が変えられれば、国の在り方まで大きく変わってしまう可能性がある。
一見、法治国家の見本とも言える日本の立憲主義にも、思わぬ落とし穴があったことは否めない。