燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや
(えんじゃくいずくんぞこうこくのこころざしをしらんや)
の意味をわかりやすく言うと、
「大人物の思想や生き方は
凡人には理解できないんだな」
とガッカリすること
である。
燕雀とは、文字通りツバメやスズメといった、一般的かつ小さな鳥のこと。
一方で、鴻鵠とは、鳳凰やコウノトリ、クグイといった高貴なイメージがある大型の鳥のこと。
つまり、燕雀=凡人(一般人)、
鴻鵠=大人物(高貴で教養がある)と定義したうえで、
「レベルの低い人間には、
レベルの高い人間の志(思想など)を理解できないのか。」
とガッカリしているのである。
(何故このような意味になったのかは、由来の項で解説します。)
侮蔑的で腹立たしい意味合いがある諺だが、そもそも、大人物(になる予定の人)が、凡人に同じレベルの思想や志を理解するように求めることの方が酷である。
余談だが、この諺は車田正美氏原作の漫画
「聖闘士星矢(セイントセイヤ)」でも使われている。
主人公の星矢の仲間である、鳳凰星座(フェニックス)の聖闘士の一輝が、敵の聖闘士のクロウ(烏座)のジャミアンに対して使っている。
聖闘士の階級では、白銀(シルバー)聖闘士であるクロウの方が上である。
(鳳凰星座は青銅(ブロンズ)聖闘士)
しかし、実力的には一輝の方が遥かに上であるため、自分の立場(状況)を理解せずに虚勢を張るジャミアンに対して、一輝は、
「“燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや”とは正にこのことだ。」
と、ガッカリ感と侮蔑の意味を込めて言ったのである。
(シルバー聖闘士という上の階級なのに、俺の実力が判らんのか!という気持ち。)
興味が湧いた方は、
聖闘士星矢の原作漫画を読んでいただきたい。
・燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんやの由来
燕雀安(いずく)んぞ鴻鵠の志を知らんやの由来は、
古代中国(前漢の時代)の書物
「史記」(合計130巻 司馬遷 編纂)のうちの一つ、
「世家」(計30巻・巻31~60)の中の陳渉世家(巻48)編に由来する。
陳渉世家には、秦の時代の末期に活躍した陳渉という群雄のエピソードが書かれている。
陳渉が群雄となる前、まだ小作人(農民の使用人)だった頃、小作人の立場に辟易としていた。
ある時、自分の雇い主と会話した時に、陳渉はこう言った。
「いずれ自分が財産と身分を手に入れることを忘れないで欲しい。」
すると、陳渉の雇い主はこう言って笑った。
「お前は小作人。小作人がどうして身分や富を手に入れられるのか。(笑)」
それに対して陳渉は、こう言って反論した。
「嗚呼、燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」
(ああ、ツバメやスズメのように(志の)小さい人物には、大人物(となる予定)の俺の志がわからないんだなぁ。)
そのセリフが史記を通じて古代中国国内で広まり、それが後に日本に諺として伝わったというワケである。
ちなみに、燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんやに似た語感の諺に、
- 王侯将相いずくんぞ種あらんや
がある。
この諺も陳渉世家に登場する言葉で、
「王や諸侯、宰相、将軍は血筋でなるものではない」
という意味である。
実力が伴わないにもかかわらず、血筋だけで非常に高い地位を得ている輩に対し、実力でのし上がった人物(陳渉)が、そういった輩を批判している言葉である。
関連項目
なし