物事の捉え方を言葉や文章で
わかりやすく説明できるよう
追及していくこと
または、その学問
となる。
ここで言う“物事”とは、
人生、世界観、真理、観念、精神、神、時間、空間、起源
など、抽象的なものを指すことが多い。
哲学を本来の専門的な言葉で表現すると、
世界のあり方や人生など
物事の“根本的な原理”を
論理的に明らかにすること
または、それらを追及する学問
となり、難しい言い回しになるので、曖昧で少々煙に巻かれた印象を受ける。
そこで、もっとわかりやすく説明をつけると以下のとおりになる。
- そもそも、世界のあり方や人生など、
物事の捉え方は、すべて人の思考によるもの。
なので、
- 人の思考を論理的に説明できれば、
さまざまな物事を他人でも理解できるようになる。
ということになる。
故に、冒頭で書いたように、
哲学とは、
- 物事の捉え方を言葉や文章で
わかりやすく説明できるよう
追及していくこと
と極論できる。
世の中に様々な学問があるのは、
それだけ人の思考が多岐にわたっているということ。
別の言い方をすれば、
- 人の思考の分だけ学問がある
と言える。
余談だが、このフレーズは、私が至った哲学である。(笑)
まあ、どこかの著名人が、似たような名言を既に言っているかもしれないが。
・哲学の元々の意味
哲学の起源は古代ギリシャにまで遡り、元々の意味は、知識全般の探求だった。
で、それを専門的に行う人を哲学者と呼んでいた。
要するに、古代の哲学者は、現代で言うところの学者(研究者)だったのである。
しかし、現代の哲学は古代のものと異なり、追及(研究)の対象が抽象的なものを主眼に置いていることが多い。
例えば、冒頭でも書いたが、
人生、世界観、真理、観念、精神、神、時間、空間、起源などがそうである。
なので、現代の哲学は、ある意味、思想学ともとれると言うことができる。
かつて「はじめの一歩」というボクシング漫画があり、その漫画の主人公・幕之内一歩(まくのうちいっぽ)は、
「強いって、なんですか?」
と、答えを求め続けていた。
それは、極めて抽象的であり、雲をつかむような探求。
彼は、この答えを求めて、ボクシングに邁進していた。
そう、彼はボクシングを通して探求を続ける哲学者なのだ。
これを理解出来た時、幕之内一歩はボクサーとしてだけでなく、哲学者としても完成するだろう。
・具体的な対象の哲学もある
前述したように、哲学の対象となるものは、抽象的なものが多い。
しかしながら、現代の哲学においては、具体的なものを対象とすることもある。
例えば、料理、子育て、会社経営など。
特に料理や子育ては身近で具体的であり、それらを徹底的に追及して論理的に明確化できれば、立派な哲学になりえる。
実際に、それらを追及して何種類も専門書を出版したり、実績をあげて社会に貢献したりする人がいる。
そういう人たちには、間違いなく“哲学”があると言えるし、彼らが出版した本は、間違いなく哲学書と言える。
しかしながら、そういうケースの場合は、哲学というよりもむしろ、
- 「実戦ノウハウ」
- 「テクニック」
- 「方法」
という呼ばれ方をされるだろう。
そうなると、次のような疑問が浮かんでくるかもしれない。
- どこまで追求すれば「哲学」で、
どこまでやれば「方法」や「手段」止まりなのか?
そう疑問を感じたら、哲学の基本の意味を振り返ってみると答えが出る。
そう、追及していくこと。
一つの答えが出ても、別の側面などから別の答えを追求していく姿勢や思想こそが
哲学であると言えるのである。