ウクライナ情勢の簡単な解説まとめ(ロシアとの戦争まで)

現在はウクライナとロシアの全面戦争になっており、
ウクライナ情勢最悪な状況と言わざるを得ません。

なぜ、こんなことになったのか?
そこまでの流れを、なるべくわかりやすいように解説してみました。

皆様の参考になれば幸いです。

 

■ウクライナとロシアの戦争勃発までの大まかな流れ

こんな感じになります。
↓↓↓

2010年2月20日、ヴィクトル・フェードロヴィチ・ヤヌコーヴィチ大統領(親ロシア派)が当選。
 ↓
2013年、EU(欧州連合)との政治・貿易協定の調印を見送る。
(元々、EUを快く思っていないロシアからの圧力があったらしい。)
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ウクライナ国内のEU派により、大規模な反政府デモが勃発。
各地でEU派と親ロシア派との衝突が起きるようになる。
 ↓
2014年2月18日、マイダン革命発生。
ウクライナ国内で親ロシア派の騒乱勃発。
(ウクライナ騒乱開始)
 ↓
2014年2月22日、ヤヌコーヴィチ大統領がロシアへ逃亡。
(ウクライナ騒乱で失脚。)
 ↓
2014年2月23日、クリミア半島セバストポリの親ロシア派住民が独自の「人民市長」を選出。
「キエフからの如何なる指示にも従わない」ことを決定。(キエフ動乱)
 ↓
2014年2月27日、親ロシア派武装集団がクリミア自治共和国議会・政府本部を占拠。
(クリミア危機勃発)
 ↓
2014年3月1日、ロシアがウクライナへ軍事介入決定。
ロシア軍によるクリミア半島の実効支配開始。
(ウクライナ騒乱およびクリミア危機解決を口実とした。)
 ↓
2014年3月11日、クリミアがウクライナから独立。
(クリミア自治共和国の首相はアクショノフ氏(親ロシア派)。)
 ↓
2014年3月16日、「クリミアのロシア編入」の住民投票を実施。
投票に不正はあったものの、9割賛成でロシア編入が決定。
 ↓
2014年3月18日、ロシアによるクリミアの併合。
 ↓
2014年4月6日、ドンバス地域のドネツィク州とルハーンシク州で暴動発生。
(ドンバス戦争開始)
翌日の4月7日、親ロシア派によってドネツク人民共和国(DPR)を宣言。
それを皮切りに、ドネツク州各地の都市で政府庁舎が占拠される事件勃発。
 ↓
ウクライナのオレクサンドル・トゥルチノフ大統領代行が「対テロ作戦」の開始を宣言。
 ↓
2014年4月27日、ルハーンシク州親ロシア派住民がルガンスク人民共和国(LPR)を宣言。
 ↓
2014年5月25日、ウクライナで新たに大統領選挙開催。
親欧米派のペトロ・ポロシェンコ氏が当選。
これ以降、「対テロ作戦」が激化する。
 ↓
2014年8月、親ロシア派の支配地域が大幅に減少。
 ↓
2014年8月22日~25日、ロシア軍が無許可で人道支援部隊をウクライナに派遣。
これにより、親ロシア派の支配地域を数多く奪回。
(ステルス侵略)
 ↓
2014年9月5日、ベラルーシのミンスクで「ミンスク議定書」調印。
(参加国:ウクライナ、ロシア連邦、ドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国)
しかし、ドンバス戦争の休戦に失敗。
 ↓
しばらくの間、ドネツク州の都市デバルツェボ※の争奪戦などの紛争が続いた。
(※鉄道が交錯する交通の重要拠点であるため、双方とも譲れなかった。)
 ↓
2015年2月11日、休戦協定「ミンスク2(ミンスク合意)」調印。
(参加国:ロシア、ウクライナ、ドイツ、フランス)
実際に停戦したのは2015年2月20日。
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2019年5月20日、ウォロディミル・ゼレンスキー氏がウクライナ大統領に就任。
 ↓
ゼレンスキー大統領は融和派だったが、様々な理由から「ミンスク2」で合意となった「親ロシア派によるドンバス地域の独立的な自治権」を反故にした。
その結果、ロシアと親ロシア派との関係は悪化。
 ↓
ゼレンスキー大統領は急落する支持率を回復しようと、NATO加入などに尽力する。
 ↓
それを受け、ロシアのプーチン大統領は危機感を覚える。
 ↓
2021年9月、ウクライナの国境付近に両国軍の大部隊が集結。
(ベラルーシとロシアの合同軍事演習のためとされている。)
 ↓
2021年10月26日、ウクライナ政府軍は親ロシア派武装勢力にドローン攻撃を実施。
この攻撃は、ミンスク合意に違反しており、ロシアだけでなく欧米諸国からも非難の対象となった。
 ↓
これにより、ロシア軍集結の口実となった。
 ↓
2021年12月17日、ロシアはウクライナのNATO加盟断念とNATOに対する部隊配備の縮小を要求。
 ↓
2022年1月12日、ベルギーの首都ブリュッセルでNATOとロシアが会談。
(NATOロシア理事会)
ロシアの要求は認められなかった。
 ↓
2022年2月10日、ドイツ首都ベルリンで「ミンスク合意」など高官協議を開催。
ロシア側は要求の完全履行を求め、合意に至らなかった。
 ↓
2022年2月21日、プーチン大統領は「ミンスク合意」を破棄。
 ↓
2022年2月24日、ロシア軍がウクライナに全面侵攻開始。
 ↓
現在、戦争進行中 ←今ここ。

 

とりあえず、こんなところですね。

今後、事態の進展に気付き次第、情勢を追記していきます。

 

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■2010年代~2014年ウクライナ騒乱(マイダン革命)について

ウクライナは人種的には東西の2つに分かれていて、東側はロシア人でいっぱい。

西側は、昔からのウクライナ人+ヨーロッパ人でいっぱい。

ロシアは、ウクライナに「仲良くしよう」と誘った。

東側にはロシア人がたくさんいるので、ロシアと仲良くしたい。

けど、西側の住民はEU(欧州連合)から、仲良くしたいからEUに入れと誘われていた。
USA(アメリカ合衆国)の後押しもあった。

ウクライナ政府は、ロシアとEU+アメリカ、どちらの誘いを受けるべきか迷い、とても困ってしまい、大統領選挙で選ばれた人に委ねることにした。

選挙によってウクライナの大統領が選ばれました。
親ロシア派のヴィークトル・フェードロヴィチ・ヤヌコーヴィチ氏です。

ヤヌコーヴィチ大統領の方針でロシアと仲良くすることに決まったが、西側の住民が選挙結果に大反対!
(不正があったと思われる。)

反対している人たちの中には、武器を使ってテロなどを起こそうとする過激な人たちがいて、その人たちにEUやアメリカがお金を渡して応援した。

それによって、クーデター(武力政変)が起こってしまい、ヤヌコーヴィチ大統領はロシアへ逃亡。

ウクライナでの新政権は崩壊してしまい、結果的にこれがマイダン革命となってしまいました。

この革命で大統領が逃亡したため、2014年5月25日に、新たに大統領選挙が行われました。

その時に当選したのが、親欧米派のペトロ・ポロシェンコ氏です。

 

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■マイダン革命からクリミア危機へ

親欧米派のポロシェンコ氏が大統領になり、親ロシア派住民への風当たりが強くなったため、ウクライナ東部に住んでいる親ロシア派の住民はイヤになって、もうウクライナから独立したがっていた。

そこに、ロシアのプーチン大統領が、「ウクライナを色んな意味で見張る」という名目で介入し、ウクライナの重要拠点クリミア半島を掌握した。
(ヨーロッパや中東と繋がる黒海の重要拠点。冬でも凍らない港がある。)

これによって、ウクライナは今すぐ内戦になってもおかしくない一触即発の危険な状態に。

これを知ったEUやアメリカは、

ロシアの軍事介入じゃないか!」
この機会にウクライナを乗っ取る気やで!

と非難。

でも、プーチン大統領は、

いや、軍事介入なんてしないよ

と、軍事介入を否定したが、

「でも、ウクライナで争いが起きたら平和のために戦う」(キリッ)

とも言った。

この発言に対し、EUとアメリカは激怒!

そして、経済封鎖(貿易中止)や資産凍結(銀行口座の差し押さえ)など、さまざまな方法でロシアに対して経済的制裁を加えようと、EUとアメリカは躍起になりました。

そして、そんな中、ついにクリミア半島は自治共和国として、2014年3月11にウクライナから独立しました。

クリミア自治共和国の首相はアクショノフ氏。

親ロシア派の人です。

さらに、その5日後の3月16日には、早くも住民投票が行われました。

何のための住民投票かというと、

クリミアがロシアに入ってもいい人~?

という内容。

アクショノフ首相はロシア系人なので、大国ロシアの後ろ盾が欲しいのです。

しかも、クリミア住民の6割強がロシア系住民なので、
住民投票によってロシア編入が可決するのは目に見えています。

つまり、住民投票は出来レース

それに対して怒ったのはEUとアメリカ。
(日本もそれに便乗)

公平じゃない、不当な投票だ!
違法やないか!

と声をあげました。

しかし、住民投票の結果は、
9割賛成でロシア編入が決まりました

その結果に黙っていなかったのが、EUとアメリカの後ろ盾を受けているウクライナ政府

なぜかというと、
住民投票の際に、ロシア系の自警団とクリミアに駐留しているロシア軍が、EU派のウクライナ系住民の投票を邪魔していたから。

具体的には、投票場に行かせなかったり、投票に必要な身分証明書を奪ったり破いたりしていたのです。

ロシア軍側は、

そんなことしてないよ

と、完全否定しましたが、ウクライナ系住民を含め、ウクライナ政府、ウクライナ系自警団、EU、アメリカ、日本は信じませんでした。

そんな中、翌日3月17日には、
クリミア自治共和国は、クリミア共和国としてウクライナから完全独立

クリミアは、ロシア連邦の一国として、ロシア編入をプーチン大統領と条約を結んで約束したのです。

そして、EU、アメリカ、日本はロシアに対して経済制裁などを実施しました。

ロシアも仕返しに経済制裁をしてきました。

 

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■2014年クリミア危機とドンバス戦争

クリミアの独立とロシア編入の決定で、ウクライナ政府、ウクライナ自警団と親ロシア派武装勢力がついに衝突!

ウクライナ東部のドンバス地域で武力闘争が始まったのです。

その無益な争いに、多くのウクライナ住民が巻き込まれました。

2014年9月5日にベラルーシのミンスクで「ミンスク協定」が結ばれました。
(※参加国はウクライナ、ロシア連邦、ドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国)

ミンスク協定によって、ドンバス地域の停戦が決まりましたが、実際には紛争はおさまらず、2015年の2月初頭まで、ずっと続いていました。

特に、ウクライナ南東部にあるドネツク州の都市デバルツェボは、鉄道が交錯する交通の重要拠点なので、親ロシア派、ウクライナ政府軍共々、デバルツェボを狙っていて、完全には停戦になっていませんでした。

その争いを解決するために、再び停戦協定「ミンスク2」が結ばれました。
(※参加国はロシア、ウクライナ、ドイツ、フランスの4国。)

そして2015年2月15日、ようやく停戦協定が施行されたのです。

しかし、どちらも仲良しになったわけじゃなく、結局、ウクライナ軍が撤退する2015年2月18日までデバルツェボで戦闘が続きました。

最終的に、2014年クリミア危機が終結を迎えたのは、両軍が完全に停戦した2015年2月20日でした。

しかしながら、ウクライナ各地で、ウクライナ軍と親ロシア派との衝突や対峙は続いていました。

 

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■2019年 ゼレンスキー大統領が就任

2019年のウクライナの大統領選挙で、新しい大統領が就任しました。

ウォロディミル・ゼレンスキー氏です。

彼はもともと「親ヨーロッパ」「親ロシア」を掲げた「融和派」でした。

しかし、結果的に協定「ミンスク2」で合意となった「親ロシア派によるドンバス地域の独立的な自治権」を反故にしたため、ロシアと親ロシア派との関係は悪化しました。
(※党内の民族派から大きな反発と、ロシア&親ロシア派側が「外国の武装組織の撤退」や「違法なグループの武装解除」を守らなかったため。)

また、ゼレンスキー大統領は様々な失策によって支持率が大きく低下していたため、NATO加入の実現を目指して欧米派の支持を得ようとしました。

しかし、それを耳にしたロシアのプーチン大統領は軍事的危機感を覚え、ウクライナに対しての侵略を構想し始めたようです。

 

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■ロシア・ウクライナ危機の発端

ロシアと親ロシア派との関係が悪化する中、ロシアはベラルーシとの恒例合同軍事演習「ザーパド2021」を実施しました。

そんな中、ウクライナ政府軍はドローンで親ロシア派の武装勢力を攻撃。

それが口実となり、ロシア軍はウクライナ国境付近に大規模な軍隊を派遣・駐留させました。

そして、ウクライナに対してNATO加入の断念と、NATOの軍備縮小を要求。

結局、どちらも受け入れられなかったロシアは、2022年2月24日、ウクライナへ全面侵攻を開始しました。

 

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■対立の構造

実は、ウクライナ問題はウクライナ国内だけの問題ではなく、
かつては、ロシアvs EU+アメリカの対立の構造になっていました。

ウクライナとロシアの戦争が始まった現在は、ロシアvsウクライナ+NATOの対立構造になっています。

ウクライナと言う国を舞台に、東西の大国があれやこれやと間接的に争っているワケですね。^^;

この対立の構造は、
朝鮮戦争の構造と似ています。

朝鮮戦争とは、1950年に起こった北朝鮮と韓国との戦争。

3年以上も続いたこの戦争では、北朝鮮には中国とソ連が味方し、韓国側にはアメリカとイギリスが味方した。

いずれも、東西の大国が後押したわけです。

両者の戦いは膠着状態になり終結。
その結果、現在の軍事境界線を境に、今もにらみ合っています。

ウクライナもそんな風に
ならなければ良いのですけどね…。

戦争は愚かな行為です。

もう少し仲良くできないんでしょうかね。

あなたも、そう思いませんか?

では、今回はこの辺で。

 

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